あなたの好きなものや、伝えたいことをインターネットでシェアしませんか?

パソコン

ホームページ、ブログ、Facebook、Twitter等の開設・基本入力をサポートします。

Happy-Luckyでは、わかりやすく、丁寧に、優しく、あなたがネットデビューできることをサポートし、パソコンという手段を使って、やりたいことができる応援をさせていただきます。

私は23歳の頃に突然アトピー性皮膚炎を発症しました。

もともと身体が強い方ではなく、喘息の発作を季節の変わり目に起こしていました。

その頃は、体内での症状が、体外(皮膚)に入れ替わったかのようでした。

最初は薬を嫌っていたので、あらゆる治療を拒否しつづけていました。
ところが、全身からリンパ液が出てきて、風呂上がりの急激な乾燥による激痛が耐えれなくなり、ついに町医者にかかることになりました。

治療は、ステロイド(リンデロン)の点滴を3日間、内服はリンデロン3錠からスタートしました。
2日に1回注射も打ちに通っていました。

あれだけ自然派だったのが、一気に薬漬け状態に…

その後は薬を内服していたので、ハイテンションになりながら、仕事はしていました。

包帯

しかし、何か薬が効きにくい感覚になり、また、当時はニュースステーションなどのテレビ番組で、ステロイドについての警笛が流行りだしていた頃でしたので、だんだん自分の内服状態が怖くなって、薬が切れると同時に病院に行かなくなりました。

すると、わずか3日も立たないうちにリバウンド状態に陥りました。

顔が腫れ上がり、皮膚がブニョブニョしてきて、痒みも増し、皮膚がただれてきました。

脱ステロイドで入院できる病院を見つけて、入院することになりました。

そこからは長い入退院の年月がはじまります。

詳しくはアトピーを笑い飛ばす会「あとっぷ」(現:アトピーの専門医からいただいたメッセージ)のプロフィールをご覧ください。
こちら>>

アトピー生白内障の手術も入れて、7回は入院したことになります。

失われた15年

仕事がままならない私は、親戚の中古車販売店で働いていました。

ステロイドの内服や外用がやめれないので、社員として活躍することも断念しました。

原因をよく考えていたのですが、精神的なこともあるのでしょう、考えても切りがなく、悪化した時には療養、調子が落ち着いていた時は活動していました。

 

ホームページに関して詳しくなったのは、会津若松で米ぬか治療をしていた時です。

退屈なので、図書館に毎日通ってhtmlの勉強等を独学でしました。

 

ここ10年でのインターネットの世界は目覚ましく、また年功序列の出世が成功目標だった日本が大きく変わり、個人がネットで起業して稼げる時代がやってきました。

ある視点ではまだまだアナログだと感じながらも、確実に情報社会の世の中になっています。

AIも進み、今後は「人がやりたがらない仕事や危険な仕事、単純な仕事」はAIが取って代わります。

これからは二極化がますますはっきりしてくるでしょう。

安定だと思っていた職業がなくなり、新たな仕事が出来てくる…

そんな中で、インターネットで生きるスキルを身に着けて置くことは必須だと私は強く感じています。

身体が不自由であっても幸い、パソコンを使うインターネットでのビジネスはやりやすいのです。

可能性があまりにも大きいのです。

 

現実の世界よりも、インターネットの世界は3倍も5倍も速いと言われていますので、常に規格が変わったりしていますが、もしあなたが安心できる資産や貯金がなくて、パソコンを受動的に利用しているだけなら、注意が必要かも知れません。

山下つよし

私はそんなあなたへ、パソコンを通して、あなたが得意としていること、やりたいことを「発信」していくことが大切であると実感してほしい。

 

私はあなたが、ブログやホームページを開設し、世界へ発信してくことができるお手伝いをさせていただきます。

 

《山下つよし》